マリオの1-1はなぜキノコを逃がさない? 宮本茂が語った最初のコースの作り方

マリオが黄色いブロックの下で跳び、赤いキノコが緑の土管から戻ってくるドット絵風イラスト ゲームクリエイター列伝

『スーパーマリオブラザーズ』のワールド1-1を、記憶から消して遊ぶことはできない。クリボーを見れば反射的に跳ぶし、ハテナブロックの下に来れば、ほとんど考えずに頭をぶつける。だからこのコースを観察するなら、上手に通り抜けることをいったん諦めたほうがいい。最初の一匹を前に、何ができると画面から読み取れるのか。マリオが大きくなる前に、キノコはどう見えるのか。知っているつもりの場面を、まだルールを知らない人の視点で眺めてみる。

この冒頭について、任天堂の対談で岩田聡が順番に説明し、宮本茂が制作側の考えを補っている。そこで語られるのは、完成したルールを順番に紹介する方法ではない。敵を避けようとした操作がブロックに届き、出てきた物体を避けたい気持ちが、今度はアイテムの性質を知るきっかけになる。数画面の地形のなかに、プレイヤーの早とちりまで組み込まれていた。

最初のクリボーが、移動とは別の動作を要求する

ゲームが始まったとき、マリオの周囲には動きを試せる余白がある。入力すれば位置が変わる。歩いて進むだけなら、操作は左右の関係を知ればひとまず足りる。そこへ自分に近づいてくるクリボーを置くと、問題が一つ増える。相手も動くので、行き先を選ぶだけでは済まない。いつどのようにすれ違うかを決める必要がある。

岩田と宮本のやり取りで面白いのは、クリボーをまず敵の名前で説明しないところだ。対談が追うのは、正面から来るものを避けようとして跳ぶ、その着地が偶然相手の頭に重なる、という順番である。成功したプレイヤーはジャンプの存在だけでなく、同じ相手でも触れ方によって結果が変わることを知る。別の角度でぶつかれば失敗する。入力の種類を増やさずに、判断の種類が増えている。

説明書には、地上の敵を上から踏めること、敵と横からぶつかるとダメージを受けることが記されている。文章なら短く伝えられる情報だが、実際の操作では、ボタンを押す時刻と前に進む距離を自分で合わせる必要がある。知識として踏めると知ることと、自分の親指で踏めるようになることのあいだに、最初のクリボーがいる。

クリボーを一匹置く利点は、失敗の理由を切り分けやすいことにもある。穴をまたぐ途中に敵が来れば、落ちたのかぶつかったのか、どの入力を直せばいいかが分かりにくい。地面が続く場所で一匹に会えば、比較しやすいのは自分と相手の位置関係だ。難度を下げることと、失敗の原因を見つけやすくすることは違う。最初の一匹は、その両方に効いている。

ハテナブロックをたたく動作は、敵を避ける動作と同じ

空中のブロックに、プレイヤーが自分から触れに行くとは限らない。飾りか、進行を妨げる壁かもしれない。そこでクリボーを避けるためのジャンプが、そのままブロックへの働きかけになる。操作の選び方を説明してから練習させる構成なら、敵の回避とブロックの探索は別々の課題になりやすい。1-1では、最初の課題に答える途中で、二つ目の仕掛けが目の前に現れる。

ここで大事なのは、ブロックの仕掛けを見つけるために専用の操作を覚えなくていい点だ。ジャンプは移動であり、攻撃でもあり、ステージ内の物体を調べる手段でもある。何にどう触れたかによって、同じ操作の意味が変わる。ボタンの数が少なくても遊びを厚くできるのは、操作の種類よりも、操作が働く相手と位置関係を増やせるからだ。

しかも、偶然ブロックに当たる余地があることは、プレイヤーの自由を消すことと同義ではない。クリボーの手前で止まる人も、勢いよく跳び越える人もいる。岩田が語った流れはコースが誘いやすい一例で、全員がまったく同じ軌跡を描くという意味ではない。覚えている人ならアイテムを避けたまま進むこともできる。設計として面白いのは、よく起こる行動を受け止める位置に次の発見があることだ。

当時の制作の話として宮本が明かしたのは、こうした順序を最初から企画書に書き込んでいたわけではなく、作りながら考えたということだった。完成版を見ると、敵からアイテムまでが一つの計画どおりにつながったように見える。ところが作り手は、実際に動く画面を見て、すでにある挙動をどう並べたら伝わるかを考えられる。コースは仕様の最後に貼る背景ではなく、動く部品を組み合わせて遊びを発見する場所だったと読める。

土管はキノコを運び返す

ブロックから出たキノコは右へ動く。ここで初めて遊ぶ人は、直前のクリボーの経験を使って判断するだろう。地面を動く何かと接触すると危ないかもしれない。右へ去っていくなら、追いかけずにやり過ごせばいい。こうした判断は不注意から生まれるのではなく、ゲーム自身が数秒前に教えたことから生まれる。

任天堂の対談で岩田が注目したのは、キノコが土管に当たって戻ってくる配置だ。手前に留まっていたプレイヤーにもキノコが近づき、上にはブロックがあるため、真上へ跳んで避けようとすると動ける空間が狭い。敵らしいものに当たったと思った瞬間、マリオの身体が大きくなる。正解を先に教える代わりに、最初の推測を一度使わせてから、結果で修正させている。

もし土管を遠くへ移し、キノコがそのまま画面の外に去るようにしたら、何が変わるだろう。初見の人は危険を回避できたと考えたまま先へ行ける。その時点では、敵とアイテムの見分け方を知る機会が減る。一方、キノコを動かさず頭上に置けば、驚きは小さくなるが、取りたい人だけが取れる。土管を近くに置いて戻すと、前に進むための地形がアイテムを見せる仕掛けにもなる。足場一つの位置が、学ぶ機会の有無を変える例だ。

ここでの土管は、単なる看板でも障害物でもない。プレイヤーは乗り越える対象として見るが、キノコは向きを変える境目として扱う。視覚的に同じ物体が、別々のルールに同時に作用している。コースを設計する側は、プレイヤーが地形をどう読むかに加え、その地形の上で敵やアイテムがどう振る舞うかまで考えられる。

変身は画面の結果であり、次の操作の理由でもある

キノコに触れた結果、マリオの身体が大きくなる。効果が小さな数字の加算だけだったら、何が起きたか分からないまま進む人もいるはずだ。画面上の自分が大きくなると、変化を探す必要がない。その後に同じようにジャンプすれば、ブロックとのやり取りも変わってくる。見た目が変わることと、操作した結果が変わることを、続けて確認できる。

ここで、公式説明書の用語で区別しておきたい。冒頭でマリオを大きくするのはスーパーキノコで、残り人数を増やす1UPキノコとは効果が違う。大きくなった状態では、敵に触れたときに元の姿へ戻って続けられる場合もある。つまり変身は、単に攻撃できる物が増えるだけでなく、その後の失敗から立て直せる余地にもなる。序盤に取らせようとする設計は、先へ進むための助けとしても機能する。

一方、ジャンプの練習が終わったと思って、すべての相手に同じ方法を当てはめると、いずれ破綻する。説明書にも上から踏めない敵や、踏んだ後に甲羅が残る敵が載っている。最初のクリボーが教えるのは、接触の方向を使って結果を変えるという出発点だ。後半の敵はその知識に例外を加える。先に比較の基準があるからこそ、例外に出会ったときに何が変わったかを考えられる。

ブロック一つで、画面の読み方は変わる

ジャンプして到達できる位置にブロックがあると、その上に乗る選択肢と、下から当たる選択肢が生まれる。どちらもジャンプを使うのに、狙う地点は上下で逆になる。高い位置の物体は行ける場所を示すだけでなく、当たり方を試す理由にもなる。この二重性が、地面と空中を行き来するゲームの面白さにつながっている。

例えば先へ急ぐ人は、ブロックを越えて着地する距離を見る。コインを拾いたい人は、真下に立ってジャンプする。クリボーに追いつかれそうな人は、敵とブロックの両方に触れない軌道を探す。同じ配置でも、優先している目的が違えば、目に入る障害の順番が変わる。説明に従うだけの練習用画面より、ここを何度も遊んだ記憶が残りやすい理由の一つだろう。

地形が教える設計には限界もある。人によっては、動いている物体に注意を奪われて、上のブロックを見落とす。音や身体の大きさの変化だけでは、何が原因か分からない場合もある。説明書が存在したことには意味がある。ゲーム画面は操作の手応えを渡し、説明書は観察だけでは分かりづらい例外や用語を言葉にする。二つの入口があれば、手を動かして学ぶ人も、先に仕様を読みたい人も遊びに入りやすい。

宮本茂が語る集大成と、チームの積み重ね

任天堂の別のインタビューで公開された仕様書には、『ドンキーコング』の足場やリフト、『ドンキーコングJR.』のジャンプ台、『マリオブラザーズ』の敵の挙動や床の仕掛けなど、先行作品の要素を改良する考えが残っている。宮本は当時のカセットで培った技術を盛り込む作品として振り返る。横へ長く進む新作が、過去のアーケード作品と無縁の発明から始まったわけではない。

その対談では、先行作品を作ったプログラマーが新作にも参加していたことが、ジャンプ台の仕組みを活用できた理由として挙がる。開発の系譜は、名前の付いたキャラクターだけを見ていても分からない。試作に使えるコードや、ある操作をどう感じさせるかという現場の知識も、仕事をした人と一緒に次の作品へ持ち込まれる。初期の任天堂の制作を読むとき、宮本一人の発案にすべてを回収すると、この手触りの継承を見失う。

1-1についても、敵を置く、キノコを移動させる、土管に当たったら向きを変える、変身を見せる、という仕事は別々の部品に見える。プレイヤーが触れるのは、それらが同じ場所で続けて働く場面だ。設計者と実装者が実際に動くものを見ながら調整する利点は、単独の仕様では気づきにくい、この部品同士の関係を拾えることにある。

いま遊ぶなら、三つの違う行動で冒頭を見る

一度目は、マリオをゆっくり進め、最初のクリボーに対してどこでジャンプしたくなるかを意識する。二度目は敵を越えることより、頭上のブロックと土管の位置を見る。三度目はブロックをたたいたあと、キノコをすぐ追いかけず、画面内でどう戻ってくるかを待ってみる。どれも攻略のための最適手順ではない。配置のそれぞれが、どの判断を促すかを見る遊び方だ。

知っているゲームをこうして眺めると、初見で困った人が何を知らなかったかも想像しやすくなる。ジャンプのボタンが分からないことと、跳ぶ必要があると気づかないことと、跳んだ後に何が起きたか分からないことは、それぞれ違う。解決策も違う。ボタン表記を出す、進路に敵を置く、変身を見せる。冒頭の設計は、この区別を短い距離で考える材料になる。

もう一つ試すなら、自分が経験者だと認めたうえで、どの仕掛けを見なくなったかを探してみたい。歩き出した瞬間から走るなら、クリボーがこちらへ来るまでの間合いはほとんど意識しない。ブロックの中身を知っていれば、土管がキノコを戻してくれるのを待つ必要もない。上達すると近道ができ、近道ができると教え方の痕跡は見えにくくなる。長く遊ばれる作品ほど、慣れた人が感じる簡単さだけでは冒頭の仕事を評価できない。

ゲームを見ている人と、操作している人とで、同じ場面の分かりやすさが違うのも面白い。横で見ている人には、戻ってくるキノコと頭上のブロックが同時に見える。手を動かしている人は、迫る物をどう避けるかに注意を取られる。誰かのプレイを見るときは、正解を口にする前に、その人が画面のどこを気にしているかを想像してみるといい。仕掛けの答えを知っている観客のほうが、時間に追われず配置を読めることもある。

1-1が見せたのは、正解を覚えるまでの順番

最初のクリボーを越えるだけなら、ゲームに慣れた人にはほんの一瞬だ。それでも、その一瞬の前後には、迫ってくる相手を見る、跳ぶ、触れる方向で結果が変わる、よく似た物体に別の効果がある、という小さな発見が詰まっている。後ろへ戻ってくるキノコに驚くから、姿が変わった理由を考えたくなる。先にすべてを説明しなくても、先ほどの自分の予想と目の前の結果を比べるだけで、ルールが少し見える。

最初のステージを設計するとは、どのボタンを先に教えるか決めるだけの仕事ではない。何を見て何を予想した人が、どんな結果に出会えば次も自分で試したくなるかを考える仕事だ。宮本たちが作りながら見つけた冒頭は、その答えをクリボー一匹、ブロック、土管、キノコという少ない材料で見せている。知っているから通り過ぎていた場所を見直すと、ファミコンの小さな画面に、作り手と遊ぶ人のやり取りが残っている。

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