初代ゼルダはなぜ「続き」から遊べた? ディスクシステムのセーブが変えた宝探し

森と岩山の地図に、洞窟へ向かう緑の服のリンクと赤いフロッピーディスクを描いたイラスト ゲーム文化・歴史

初代『ゼルダの伝説』で、次にどちらへ向かえばいいのか分からなくなる。そのとき、目の前の道を順に試す人もいれば、いったん遊ぶのをやめて、次の日に違う場所から調べ直す人もいる。1986年のファミコンにとって、後者も遊びの一部として成立させるには、プレイヤーが集めたものや進み具合を保存できることが大きかった。探検の途中に現実の休憩を入れられると、ゲームの中で立てられる計画も変わる。

任天堂の開発者インタビューで、宮本茂は、当時のパソコンのRPGを遊んだ人が自分の剣士について語り、電話で情報を交換していたことを思い出している。ゲームを終えたあとにも続く関係が、面白そうに見えたという。初代ゼルダを考えるとき、この話とディスクシステムの書き込み機能を並べてみたい。宝探しを一度で終えなくてよくなると、昨日の自分と今日の自分が、一つの冒険を引き継げるようになる。

発売はマリオの後、着手はゼルダが先

日本で初代『スーパーマリオブラザーズ』が出たのは1985年9月。初代『ゼルダの伝説』は1986年2月21日に、ファミリーコンピュータ ディスクシステムの第1弾ソフトとして発売された。この順番から、マリオを作り終えた後にゼルダが始まったと考えると、制作の実態を見誤る。宮本によれば、着手したのはゼルダが先で、その後マリオに取りかかり、ディスクシステムの発売時期に合わせてマリオのほうを先に仕上げた。

その並行作業を示す資料も残っている。任天堂が公開したインタビューでは、サウンドを担当した近藤浩治が、ゼルダのサウンド発注書を持参している。手塚卓志の名前が入った書類の日付は9月27日。マリオが出てからわずか2週間後の資料に、ゼルダの簡単な絵コンテも載っていたという。別々の時期に大きく方向転換した二作というより、重なる開発期間のなかで、アクションの手応えを別の遊び方に振り分けていたと見るほうが面白い。

マリオでは足元の敵や次の段差に反応しながら先へ進む。初代ゼルダでも敵を避けたり剣を振ったりするので、その場の判断は絶えない。ただし、戦いが終わったあとに問われることが違う。どの方向へ向かうか。手に入れた道具は、さっき通り過ぎた場所で役立つのか。マリオとゼルダの違いは、キャラクターが横から見えるか上から見えるかだけでなく、プレイヤーが一つ前の画面をどう覚えているかにも表れる。

ディスクに書き込めると、遊びを中断できる

任天堂の資料では、ディスクシステムが採用したディスクは、当時のROMカセットより多くのデータを扱い、ゲームデータを保存できたと説明されている。容量と保存は似た話に見えて、遊ぶ側への作用は違う。地上や迷宮、音、敵の種類を盛り込めても、その成果が電源を切るたびになくなるなら、プレイヤーは遊べる時間の範囲で進むしかない。保存できると、今日何を調べるかと、今日どこまでゲーム全体を終わらせるかを切り分けられる。

例えば、次の迷宮を見つけることだけを目標に遊び始める。入口にたどり着いたところでやめても、その日に集めたものが残れば、翌日は迷宮を攻略するつもりで始められる。プレイ時間を短くできるだけではない。残り時間に合わせて、自分で小さな課題を立てられる。すべてを一晩で済ませる必要がないので、寄り道に何分か使う余裕も生まれる。

ここで、セーブできることと、画面の状態をそのまま止めて後で戻せることを区別したい。任天堂が公開している初代ゼルダの電子説明書では、ゲームオーバー時のメニューで保存でき、続行を選ぶと地上か迷宮のスタート地点から再開すると案内されている。現代のエミュレーターなどにある、画面上の瞬間をそのまま復元する機能とは仕組みが異なる。保存によって残る進行と、再開時にもう一度通る道の両方が、遊び方を決めている。

戻されるから、道の覚え方が変わる

迷宮でやられたあとに入口へ戻ると、数秒前の場所で同じ剣の振り方を繰り返すだけでは済まない。通ってきた部屋のつながりを思い出し、危ない敵に近づく方向を考え直す。地上なら、一度見た景色を手がかりに道をたどる。長い進行がすべて失われるわけではないが、直前の場面まで自動で連れていってもらえるわけでもない。間にある道のりが、次はどこを変えてみようかと考える時間になる。

もちろん、戻る手間を誰もが歓迎するわけではない。何度も同じ敵をかわすうちに、興味より疲れが先に来ることもある。保存の制約は、記憶や計画に意味を持たせる一方、失敗のやり直しに時間を使わせる。初代の手応えを振り返るなら、地図を覚えた喜びと、同じ場所をまた通る面倒さの両方を見ておきたい。どこから再開させるかは、難度や遊びやすさを左右する、見えにくい設計判断だ。

ゲームを途中でやめても、プレイヤーの頭の中には記憶が残る。壁の並びが妙だった、あの敵は別の道具なら相手にできそうだ、買い物に必要なお金が足りなかった。画面上の進行をセーブして、頭の中の仮説を翌日持ち込むと、再開後にやることが変わる。ゲームが保存する記録と、自分で思い出す情報の間に差があるから、遊びを止めている時間にも計画を練れる。

宝は、攻撃力だけを上げるわけではない

宮本が振り返った出発点は、剣と魔法の世界での宝探しだった。初代の道具を見ると、宝を集めることが何を意味するかが分かる。公式説明書によれば、ばくだんは敵を攻撃するほか、壁に穴を開ける用途もある。マップは迷宮全体の形を知らせ、コンパスはトライフォースの位置を示す。鍵が開けるのは閉じた扉だ。それぞれ、プレイヤーが次にできることや、何が見えているかを違う方法で変える。

とくに面白いのは、ばくだんのように、すでに覚えた使い道と別の使い道が同居していることだ。攻撃用だと思って持ち歩いていたものが、あるとき地形に働きかける。すると、新しい敵に勝てるかだけでなく、以前に通った壁の見え方まで変わる。マップを手に入れたときも、目の前の部屋を通過できるようになるわけではない。それまで知らなかった部屋のつながりが見えて、引き返す理由や寄り道の候補が生まれる。

選択肢が増えることと、答えが分かることは別だ。マップを拾えば形は見えるが、どの部屋にどんな問題があるかは、自分で調べる必要がある。コンパスで目標の位置が分かっても、鍵のある場所や、安全に行ける順番まで決まるわけではない。宝を集めるほど、見当違いに進む可能性は減る。その一方で、ある程度見通せるようになったぶん、どこから試すかは自分で考えられる。

こうした作りでは、アイテムを入手した瞬間だけ見ても、その価値は分からない。ボスを倒して終わりなら、剣が強くなった効果はその場で測れる。先に閉じた扉や怪しい地形を見ていると、持ち物が変わったことを、過去の景色に戻って初めて確かめられる。発見と効果確認の間に距離がある。戻る道を歩く意味は、同じ敵をもう一度倒すところだけにあるわけではない。

地上と迷宮は、違う種類の記憶を使う

地上では目印と進行方向が手がかりになる。迷宮では、どの部屋から入って、どこに出口があり、どの扉が閉じていたかを覚えたくなる。画面が切り替わるたびに見えるものは限られるが、その区切りが、地形を一画面ずつ頭の中で組み立てる単位にもなる。世界のすべてを一度に眺めるのではなく、いま見える場所と見えなくなった場所の関係を考えるのが探索の一部だ。

迷宮の中では、危険があるからこそ、記憶を使う優先順位も変わる。部屋を調べてから戦うのか、まず敵を減らすのか。鍵を見つけても、体力に余裕がなければ、すぐ先の扉を開けるより引き返したくなる。頭の中の地図は、一度完成すれば終わりというものではない。今の装備、体力、知っている入口によって、同じ道を安全だと見るか、遠回りだと見るかが変わる。

ゲームの地図と、プレイヤーが紙に書く地図にも違いがある。公式説明書にあるマップは迷宮の形を見せてくれる。紙なら、そこに自分で注意を書き込める。行き止まりに見えた場所、後で調べたい壁、敵が苦手だった部屋。紙で遊ぶことが前提という話ではないが、ゲーム画面に出ない自分の疑問を残せる道具として、地図には別の役割がある。探索を再開するとき、正しい答えより、どこまで考えたかを思い出せることが助けになる。

攻略を話したくなるのは、見つけた順番が違うから

宮本が見ていたパソコンRPGの遊び手は、自分の剣士について語り、情報交換もしていたという。初代ゼルダの設計にその話を重ねると、地図の同じ場所に立つだけでは、同じ話にはならないことが分かる。一人は偶然に道具を見つけ、もう一人は友人のヒントから探す。ある人は敵を突破して入口へ着き、別の人は危なくなって引き返してから別の道を試す。話したくなるのは、見つかった物だけでなく、自分がそこへたどり着いた順番だ。

ヒントをもらうことにも幅がある。迷宮の場所そのものを教えてもらえば、迷っていた時間を短くできる。どんな地形を気にすればいいかだけ聞けば、見つける瞬間は自分のものとして残る。どちらが正しいという話ではなく、どれだけ自分で探したいかを人によって変えられるのが、こうした冒険の面白いところだ。遊びの外で交わす会話が、次にゲームを起動したときの行動を変える。

一方で、当時の遊びをすべて口コミで説明することはできない。任天堂のインタビューでは、作品に付いた説明書も話題になる。ゲームの外にはすでに、ルールやアイテムを知る手段があった。友人の話は個別の経験を伝え、説明書は操作や世界の前提をそろえる。ゲーム内の地形だけで全部を教えるというより、複数の場所に情報があって、遊び手が必要なものをつないでいく。その余白があるから、話を聞くだけでも、もう少し自力で調べることができる。

手塚卓志と近藤浩治の資料から見える制作

ゲームを語るとき、宮本の名前と画面の印象だけを結びつけると、開発が一本の線で進んだように見えやすい。任天堂のインタビューに出てきた発注書は、別の仕事の境目を見せる。手塚が作った書類には場面の絵があり、それを受けて近藤が音を考える。仕様を担当する人の頭の中にある場面と、実際に音を作る人が読み取った場面の間には、すり合わせる仕事がある。

例えば地上から洞窟へ入るとき、画面が変わるだけでも場所の違いは分かる。そこに別の音が入ると、何かが切り替わったことを視線だけに頼らず感じられる。制作資料で画面と音の接点が見えるのは、ゲームの雰囲気が個々の素材の質だけで決まらないからだ。いつ音を鳴らすか、切り替わる直前にプレイヤーが何をしているか。その場で聞く人の行動と結びついて、音は場所の記憶にもなる。

マリオとほぼ同時期に作られたことは、作品の似ていない部分を考えるうえでも手がかりになる。同じ会社の近い時期の仕事でも、画面を進む快感と、引き返す理由のある冒険では、優先する設計が違う。ファミコンを使うという共通点だけでは、完成したゲームの形は決まらない。ハードでできること、チームが作ってきたアクション、プレイヤーにどう時間を使ってほしいかが組み合わさって、別々の形になった。

いま遊び直すなら、手がかりを一つ持って終える

今の環境で初代を遊ぶ場合、配信版によっては巻き戻しや中断保存が使えることがある。作品内のセーブと区別して見ておくと、どの機能がどんな遊び方を助けているかが分かりやすい。ボス戦の攻撃を練習したいなら、瞬間をやり直せる機能が便利だ。地上と迷宮の道のりまで含めて試したいなら、作品内で用意された区切りを意識すると、道を覚えたことの価値が見えやすい。

遊び方の実験として、次に知りたいことを一つだけ決めてから区切るのも面白い。まだ調べていない方角がある、壁の向こうが気になる、拾った道具を試したい。再開してその問いを確かめ、結果が外れたら、理由をもう一つ考える。記録するのは攻略に必要な情報だけではない。どこで自分の推測が変わったかも残しておくと、他人の攻略を読んだとき、自分が何を見落としていたかまで分かる。

プレイの正解を知っている人にも、入口はある。一度目に迷った理由を覚えていないなら、なぜ今は迷わずに行けるのかを考えてみる。目印を知っているのか、装備を取る順番を覚えているのか、説明書や人の助言を以前に見たのか。自分の中で当たり前になった知識をばらしてみると、ゲーム側が渡した手がかりと、遊び手同士で補ってきた手がかりが見えてくる。

初代ゼルダの保存機能が残すのは、プレイの続きだ。何を見て、何を疑い、次はどこを調べたいかは、遊んだ人が持ち越す。長い冒険をいくつもの日に分けられるから、行き詰まった場所も、次に確かめたい場所として思い返せる。電源を切ったあいだまで冒険のことを考えてしまう。その時間を支えたのは、画面に描かれたハイラルと、そこへ戻って来られるという約束だった。

参考資料・関連記事

任天堂|発売記念インタビュー「ゼルダの伝説篇」

任天堂|初代『ゼルダの伝説』作品紹介

任天堂|『ゼルダの伝説』電子説明書

ゲムスク|横井軍平と携帯版『ドンキーコング』の試作

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