昔のゲームセンター。
薄暗い店内。
タバコの煙。
電子音が鳴り続けるゲーム機。
壁にもたれている学生服のお兄さん。
そんなイメージを持っている人もいるでしょう。
そして昔の大人たちは、よく言いました。
「ゲームセンターなんか行くと不良になるぞ」
今では子ども連れの家族がクレーンゲームを楽しむ場所になったゲームセンター。
それが、なぜ昔は「不良のたまり場」とまで呼ばれたのでしょうか。
結論から言えば、ゲームセンターそのものが少年を不良にしていた、と単純に言える話ではありません。
1980年代の日本では少年非行そのものが大きな社会問題になっており、そこへ急速に増えたゲームセンター、深夜営業、違法賭博店、一部店舗の管理問題などが重なりました。
その結果、
若者が集まるゲームセンター=何か悪いことが起きる場所
というイメージが強くなっていったのです。
- 1980年代は少年非行そのものが大きな社会問題だった
- インベーダーブームでゲーム機が一気に街へ増えた
- 学校でも家でもない「第三の場所」だった
- 「ゲームをしない人」も店に集まるようになる
- 実際に少年非行との関係は問題視されていた
- さらに厄介だった「違法賭博店」の存在
- 「薄暗い店」という外見もイメージを悪化させた
- 昔のゲームセンターでは喫煙も普通だった
- 1984年、ゲームセンターをめぐる大きな転換が起きる
- ゲームセンターは「明るく楽しい場所」へ変わり始めた
- テーブル筐体からアップライト筐体への変化もあった
- 「ゲーセン=怖い」は一日で消えなかった
- 業界自身も「昔のイメージ」を認識している
- では本当に「不良のたまり場」だったのか
- 今では親子でゲームセンターへ行く時代になった
- 友達に話せるゲーム雑学
- まとめ:「怖いゲーセン」から「家族で遊ぶ場所」へ
- 参考資料
1980年代は少年非行そのものが大きな社会問題だった
まず重要なのは、ゲームセンターだけを見ないことです。
1980年代前半の日本では、少年非行そのものが非常に大きな社会問題になっていました。
警察庁の当時の警察白書では、1970年代後半から1980年代前半にかけて少年非行を「戦後第3の波」として扱っています。
1982年には、刑法犯少年の補導人員が19万1,930人となり、当時の戦後最高を更新しました。
さらにその後も増加し、1983年には戦後最高を記録しています。
つまり当時の社会では、ゲームセンター以前に、
「最近の少年は大丈夫なのか」
という強い不安がありました。
校内暴力。
万引き。
乗り物盗。
深夜徘徊。
こうした問題がニュースや社会問題として扱われていた時代です。
そんな状況で、中学生や高校生が大量に集まる新しい娯楽施設が全国へ増えていきました。
それがゲームセンターでした。
インベーダーブームでゲーム機が一気に街へ増えた
1978年、『スペースインベーダー』が大ヒットします。
ゲーム機は従来のゲームコーナーだけではなく、喫茶店などさまざまな場所へ広がりました。
その後、ビデオゲームの人気とともに、ゲーム機を多数並べた店舗も全国へ増えていきます。
これはゲーム好きにとっては最高です。
100円玉さえあれば遊べる。
家に高価なゲーム機がなくてもいい。
友達と集まれる。
上手な人のプレイも見られる。
当然、若者が集まります。
問題は、当時の社会が「若者が大勢集まる場所」そのものを警戒していたことでした。
学校でも家でもない「第三の場所」だった
ゲームセンターには学校の先生はいません。
親もいません。
基本的には店員しかいません。
子どもや若者から見れば、かなり自由な場所です。
学校が終わる。
家には帰らない。
ゲームセンターへ行く。
友達がいる。
知らない年上の人もいる。
ゲームを見ながら何時間も過ごす。
現在なら珍しくない光景ですが、当時の保護者や学校側から見れば、管理しにくい場所でもありました。
しかもゲームセンターは安い。
映画館へ毎日行くのは難しい。
遊園地にも毎日は行けません。
しかしゲーセンなら100円から遊べます。
若者が日常的に集まりやすい条件がそろっていたのです。
「ゲームをしない人」も店に集まるようになる
ここが面白いところです。
ゲームセンターにいる全員が、ゲームだけを目的に来ていたとは限りません。
友達を待つ。
人のプレイを見る。
話をする。
時間をつぶす。
知り合いに会う。
つまりゲームセンターそのものが、若者同士の待ち合わせ場所や交流場所になりました。
そうなると当然、さまざまな人が入ってきます。
普通にゲームを遊ぶ学生。
学校帰りの子ども。
ゲームの上手な常連。
少し怖そうな年上。
そして実際に問題行動を起こす人。
一部の問題が、店舗全体のイメージになっていきます。
実際に少年非行との関係は問題視されていた
では「全部大人の偏見だった」のかというと、それも違います。
文化庁系のゲームセンター史研究では、1980年代前半のゲームセンターが社会問題化した背景として、少年非行や青少年保護の問題が挙げられています。
当時は少年非行が高い水準にあり、安価で多くの人が利用できるゲームセンターには若者が集まりやすい状況がありました。
そのため警察、学校、保護者などから、ゲームセンターと青少年問題の関係が強く注目されるようになります。
ただし、ここで区別しなければならないことがあります。
「ゲームセンターに非行少年が集まることがあった」と「ゲームセンターが少年を非行にした」は同じではありません。
人が集まりやすい場所だから問題行動も目立った。
この見方も必要です。
さらに厄介だった「違法賭博店」の存在
ゲームセンターのイメージを悪化させたもう一つの要因があります。
違法な賭博営業です。
1970年代頃から、一部ではメダルゲーム機やテレビスロットなどを改造し、現金などを賭ける違法営業が問題になりました。
いわゆるゲーム喫茶などで、違法賭博が行われるケースもありました。
もちろん、普通のゲームセンターと違法賭博店は別物です。
しかし当時はゲーム産業自体が急速に成長した時期でした。
業界側の統一的なルール作りも現在ほど成熟していません。
外から見れば、
ゲーム機が置いてある店
という点では似ています。
そのため健全なゲームセンターまで、違法店や怪しい店舗と同じように見られやすい状況がありました。
「薄暗い店」という外見もイメージを悪化させた
前回の記事でも紹介しましたが、昔のゲームセンターは現在より薄暗い店舗が多くありました。
ブラウン管へ照明が映り込むのを防ぐなど、ゲームを見やすくする実用的な理由もありました。
しかし外から見る人に、その事情は分かりません。
入口が暗い。
中がよく見えない。
電子音が鳴っている。
学生が何人もいる。
タバコを吸っている大人もいる。
これだけ条件がそろえば、ゲームを知らない親からすれば、
「あそこには行くな」
となるのも理解できます。
昔のゲームセンターでは喫煙も普通だった
今のゲームセンターしか知らない人には想像しにくいかもしれません。
昔はゲームセンターでタバコを吸う大人も珍しくありませんでした。
ゲーム筐体の横に灰皿。
ゲームをしながら喫煙。
店内には煙。
そこへ中学生や高校生も入ってきます。
現在の感覚ならかなり異様に見えます。
しかし当時は飲食店、駅、職場などでも喫煙環境が現在とはまったく違いました。
ゲームセンターだけが特別だったわけではありません。
それでも「暗い+煙+若者」という組み合わせが、怖いイメージを強化したのは確かでしょう。
1984年、ゲームセンターをめぐる大きな転換が起きる
そしてゲームセンター業界に大きな転換点が訪れます。
1984年の風俗営業法の大改正です。
この改正によってゲームセンター営業が規制対象に組み込まれ、翌1985年2月から施行されました。
これ以降、ゲームセンターには営業時間、営業地域、設備、青少年の入場などについて法的な規制がかかります。
それまで24時間営業していた店舗も、深夜まで自由に営業することが難しくなりました。
業界にとっては非常に大きな変化です。
ゲームセンターは「明るく楽しい場所」へ変わり始めた
面白いのは、規制を受けた後のゲームセンターです。
日本アミューズメント産業協会の業界史では、1985年の法施行後、ゲームセンターが「明るく楽しいゲーム場へ」と方向転換していったことが記録されています。
深夜営業が制限されれば、昼間の客を増やさなければなりません。
昼間に来てもらいたい客は誰か。
子ども。
女性。
家族。
一般の買い物客。
そこで店側も変わります。
明るい店。
入りやすい入口。
分かりやすいゲーム。
幅広い人が遊べる施設。
現在のゲームセンターにつながる方向へ、大きく舵を切ったのです。
テーブル筐体からアップライト筐体への変化もあった
業界史では、この時期にビデオゲームでも店舗の雰囲気を変えるため、テーブル筐体から離れる動きがあったことが記録されています。
昔の喫茶店文化を引きずったテーブル型ゲーム機。
薄暗い場所で座り込んで長時間遊ぶ。
そこから、立った状態でも見やすいアップライト型などへ変わっていきます。
ゲーム機の形まで、店のイメージ改革と無関係ではありませんでした。
「ゲーセン=怖い」は一日で消えなかった
もちろん、法律が変わった翌日にイメージが全部変わったわけではありません。
1980年代後半。
1990年代。
格闘ゲームブーム。
対戦台。
常連。
ゲームセンターには引き続き独特の文化がありました。
場所によっては、子どもには少し入りにくい店舗も残っていました。
一方でショッピングセンターや大型商業施設にもゲームコーナーが増え、
プリクラ。
音楽ゲーム。
クレーンゲーム。
大型体感ゲーム。
など客層を広げるゲームが次々に登場します。
ゲームセンターは徐々に、
一部の若者が集まる場所
から、
誰でも遊べる娯楽施設
へ変化していきました。
業界自身も「昔のイメージ」を認識している
日本アミューズメント産業協会は、業界史を振り返る資料の中で、昔のゲームセンターが現在とは大きく違うイメージを持たれていたことを紹介しています。
若い業界関係者には、かつてゲームセンターが暗い、怖いといった印象で見られていた時代そのものが想像しにくくなっているといいます。
それだけ現在のゲームセンターは変わったということです。
約40年をかけて、業界側も健全化やイメージ改善に取り組んできました。
では本当に「不良のたまり場」だったのか
ここまでを見ると、答えはこうなります。
そういう店舗や時間帯は確かに存在した。しかし、すべてのゲームセンターが不良のたまり場だったわけではない。
普通にゲームが好きな子どももいました。
会社帰りに遊ぶ大人もいました。
ハイスコアを狙うプレイヤーもいました。
友達と遊びに来ただけの学生もいました。
しかし社会全体で少年非行への不安が強かった。
違法賭博店も存在した。
一部の店舗で問題行動も起きた。
店内は暗かった。
深夜まで若者が集まった。
これらが全部一緒になり、
ゲーセン=不良
という非常に強いイメージが作られたのでしょう。
今では親子でゲームセンターへ行く時代になった
そして現在。
ゲームセンターへ行くと、光景はまるで違います。
子ども。
親。
祖父母。
カップル。
観光客。
クレーンゲームでぬいぐるみを取る家族。
昔の「近づいてはいけない場所」というイメージを知らない世代も増えました。
業界団体は近年、ゲームセンターを家族で楽しむ場所として利用する人が増えたことも説明しています。
40年前には、少年非行との関係を理由に法律による規制対象となったゲームセンター。
それが今では、ショッピングモールの中で親子が普通に遊んでいます。
同じ「ゲームセンター」という名前でも、社会から見た意味は大きく変わったのです。
友達に話せるゲーム雑学
今回の記事を友達に説明するなら、これだけ覚えておけば十分です。
昔のゲーセンが「不良のたまり場」と呼ばれたのは、ゲームをすると不良になるからではない。
1980年代は少年非行自体が大きな社会問題で、そこへ若者が集まるゲームセンター、深夜営業、違法賭博店などの問題が重なって、ゲーセン全体のイメージが悪化した。
そして1985年からゲームセンターは風営法の規制対象になり、業界も「明るく楽しいゲーム場」へ変わっていきました。
まとめ:「怖いゲーセン」から「家族で遊ぶ場所」へ
- 1970年代末からゲームセンターが全国へ急速に拡大した
- 1980年代前半は少年非行そのものが大きな社会問題だった
- 若者が安く長時間集まれる場所としてゲーセンが注目された
- 一部では違法賭博営業なども問題になった
- 薄暗い店舗や深夜営業も「怖い場所」という印象を強めた
- 1984年の法改正、1985年施行でゲームセンターが風営法の規制対象になった
- 業界はその後「明るく楽しいゲーム場」へ方向転換した
- 現在では家族連れも普通に利用する娯楽施設になった
「昔のゲーセンは不良のたまり場だった」
この一言だけでは、ゲームセンターの歴史は分かりません。
本当に問題のある店もあった。
一方で、ただゲームが好きで集まっていた人も大勢いた。
そしてゲームセンターは、社会からの厳しい視線を受けながら自分たちの姿を変えていきました。
薄暗くて、親から「行くな」と言われた場所。
それが40年後には、親が子どもの手を引いて遊びに行く場所になった。
この変化そのものが、日本のゲームセンター史のかなり面白い部分なのです。
参考資料
・警察庁「昭和58年 警察白書」
・警察庁「昭和60年 警察白書」
・文化庁 メディア芸術カレントコンテンツ「ゲームセンターと社会との関わり」
・日本アミューズメント産業協会「AM業界の歴史 1980年代」
・日本アミューズメント産業協会「JAIA PRESS」



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